台本の読み方
台本の読み方、などとマァまた大きく出たもんだな、と自分でも思います。笑
もちろん「これが正しい台本の読み方である!」というような、キッパリと断言できるほどの物を私も修めてきたわけではないのですが。
ただひとつ言えるのは、
その台本の読み方は間違ってるよね
というか、そういう間違ったパターンに関しては、役者として&演出としての経験から、いくつか見えてきてるんですよね。
いや、何というか。
とても言いづらいことなんですけど、この台本の読み方を間違って覚えた役者というのは一生芽が出ることは無いです。
たとえば、動きだったり声だったり、そういうものはある程度ガムシャラにトレーニングしさえすれば割となんとかなるもんです。
ただ、台本の読み方は違う。
間違った読み方でどんだけガムシャラに台本を読み込もうと、ただひたすらに間違った道の奥深くまでハマり込んでいくだけ。その頑張りは芝居のクオリティには一切寄与すること無く、ただ単に自分の思い込みを強化し、どんどん一人よがりな芝居になっていく・・・という哀れな末路を辿ります。
そこに、なまじ長い年月トレーニングして培ってきた技量が乗っかってしまうため、ますます自身の思い込みが強化され、芝居はますます強気で傲慢な見るに堪えないものになり・・・
こういう役者は結構多い気がします。
台本の読み方には、というか台本の読み方にこそ人間性が出ます。
私は、だからこそお芝居が好きなんですよね。
まあ私の思いはどうでもいいとして。笑
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Contents
台本の読み方は千差万別
そう。
人それぞれ台本の読み方は違います。
それが個性であり、その違いが “味” を生むんだ!
というような方はこれから先を読んでも仕方ないと思うので、どうぞ今取り組んでる台本を読むなり、そういう時間に当てて頂ければと思います。
残酷な話をすれば、たとえばアマチュア演劇(・・・という括りは私も抵抗がありますが、一応分類として)とプロの劇団、役者。まったく同じ作品(台本)に取り組むことも多々あるわけですが、そのクオリティには雲泥の差があったりするわけですよね。
その理由って何なのか?
もちろん、単純に技量の問題やお金の問題は非常に大きいんですけども、とりあえず今回はソレは置いておきましょうか。今回は「台本の読み方」がテーマなので、そこに焦点を絞って話をしていきます。
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上手い役者とヘタな役者では、そもそも台本の読み方が違う
プロの役者、または上手い役者さんが、アマチュアの小さな劇団にポンと参加してお芝居をすることがあります。
そういった時、やっぱり上手い役者さんというのは流石のパフォーマンスを見せてくれて、ああやっぱりプロは違うな、と思ったりするわけなんですが。
その時に、そのプロの役者さんの技量に注目するのも非常に素晴らしいと思います。自分には今この技量が足りてないから、今から頑張って稽古しよう、と。
さて、見出しにも書いた通り、
上手い役者とそうでない役者との違い、それは技量もさることながら、まずそもそもの話として
台本の読み方が違う
んです。
ええ、そりゃもう全然違います。
これは私も演出家として色んな役者さんと関わる中で、はじめて見えてきたことなんですが。
ザックリと一言で言ってしまいますと
ヘタな役者は、感情的に台本を読む
んですね。
この「感情的に」というのは表現が非常に難しいところなんですが、何というか行き当たりばったり・・・というか。その場一発でなんとなーく湧きでた感情を「これぞ “ナマ” の読みである」というように勘違いしてしまっている、というか。
芝居=楽器の演奏だと考えてみる
これ、ちょっと楽器で考えてもらいたいんです。
たとえばギター。
楽譜も読めないしコードも知らないのに、ただ弦をかき鳴らして出た汚い音、それを「個性」とか「味」とか「ナマ」だとかのたまうことが、どれだけ恥ずかしいことか
ってことなんですよ。
台本には “力学” がある
台本に書かれてあること、
それは一つの物語である以前に
一つの「文章」であり
一つの「言葉」であり
一つの「音」であり、
そしてそれらは全て
「日本語」
で書かれている
という厳然たる事実があります。
つまり、そこにはルール、力学がある。
役者の仕事は、まずその力学を知ること
台本を読むというのは、まずその力学を紐解くことだと私は考えています。
バッサリと言ってしまえば、
日本語もロクに喋ることが出来ないくせして「私はこう感じたのでこう読みました」というのは一切通用しない
ということです。
挙句の果てには、その基礎の基礎すら知らないくせに
その話の “背景” だとか
その “資料” あつめだとか
そういう作業に取り組むことで、「ああ私は台本を読み解いてるんだわ」と自己満足しているような、そんな痛い役者があまりに多い。
もっとも基本的かつ重要な力学を知らずして「私はこう感じたのでこう読みました」式の台本読みには、そもそもの話として未来がありません。
だってそうですよね?
先のギターの話を思い出してみてください。
コードも知らずにただギャンギャンと弦を弾く、そんな事を仮に100年続けたとしても、絶対に名ギタリストにはなれないですから。
- そもそも声が小さい(音が出ない楽器)
- 噛みまくる(楽器ですら無い)
- 何を言っているのかわからない(楽器ですら無い)
- 方言が抜けない(音程が取れない楽器)
こんなイカれた楽器で「演奏」など出来るはずがなく。
演奏が台本を読み解く作業だとしたら、上記は本当に出来て当たり前のことであって、演奏という段階では更に複雑な力学があります。
背景だとか、資料だとか、
そういったものはその遥か後の作業。
上手い役者の台本の読み方
もうおわかりかと思いますが、上手い役者さんというのは、こちらがビックリするぐらい地味で泥臭い読み方をしています。
そしてその根底にあるのは、その作品への敬意。
自分の演奏である以前に、それは作曲者が思いを込めて作った「曲」であり、その音を確実に辿ることは作曲者に対する最低限の礼儀である、というような。
私が演劇を始めて間もない頃に、こういうプロの役者さんと話をすることが出来て本当に良かったと思いますし、確実にそれが礎となって今の私があります。
だから、というわけではありませんが、日本語や正しい発音、発声について勉強するのは、舞台に関わる者にとって絶対に損にはなりません。